みんなの寅さん 復刻コラム ACT6男はつらいよ 純情篇(その3)

【第6作『男はつらいよ 純情篇』】(2013年5月12日執筆)

寅「なんだ、おいちゃん、なに考えてんだ、ん」
竜造「おめえと同じことよ」
寅「い、いい年してなんだよ、汚ねえよ 考えてる事が不潔だよ、まったくなあ、ああ、オレは恥ずかしいよ。こんな卑しいジジイがオレの身内だと思うとなぁ」
竜造「なにいってんだい、あー今日も日が暮れるなぁって」
寅「うそだよぉ―、はははは、隠したってダメだよ、今その口で言ったじゃねえか、オレと同じ考えだって、そうだろ、ははは、なぁ、ははは、あれぇ?」

第6作『男はつらいよ 純情篇』(1971年1月15日公開)より

 シリーズ最終作として第5作『望郷篇』(1970年8月26日公開)を撮り上げた山田洋次監督は、この一年、じっくりと時間をかけて撮影を続けてきた『家族』(1970年10月24日)を発表。折からの「寅さんブーム」もあり、さらに『家族』が高い評価を受けたこともあり、すぐに第6作を、と会社からの要請を受けることとなりました。その『男はつらいよ 純情篇』のシナリオが掲載されたキネマ旬報1971年1月10日号増刊「男はつらいよ 大全集」に、こんな文章を寄せています。

六十九年の八月に第一回の「男はつらいよ」が始まって以来、この「純情篇」に至るまで、何と驚くなかれ六本の脚本を、もちろん森崎東君や宮崎晃君の協力を得ながらではあるが私は書き続けて来たのである。全く逆さにしても血も出ないというのが現在の状況であろう。

 “逆さにしても血も出ない”という監督としての産みの苦しみがひしと伝わってきます。それでも映画館に駆けつけてくれる観客のために、映画館で寅さんの一挙手一投足に声援をかけてくれるファンのために、山田監督は、これで監督としては四本目となる第6作『純情篇』の構想を練り、宮崎晃さんとともに、シナリオを執筆、1970年11月21日にクランクインをしました。山田監督はこのとき39才でした。記録によると、横浜野毛山ロケーションから撮影が始まっています。

 野毛山というと、そんなシーンがあったのか? と一瞬思ってしまいますが、映画の中盤、シナリオでいうとこの場面です。

42 ××神社
 晴れ渡った秋空。
 ゴタゴタした縁日の一隅で寅が大声をはりあげてタクバイをやっている。
 客の中にまじって、二、三人の学生がカセットテープをかかえて聞いている。

 寅さんが、瀬戸物の啖呵売をするシーンが初日の撮影だったのです。完成作品や後に発行されたシナリオ集にも「××神社」とあるだけなので、長らく都内の神社だと思われていました。数々の関連本にもそういう既述があり、ぼく自身もそう思い込んでいました。ところが、長らく「男はつらいよ」研究をしている寅福さんという方と、彰さんという二人の知人が、このキネマ旬報にも記載されていた“野毛山ロケーション”という既述から調査をして、この場所が神社ではなく、野毛山にある横浜成田山こと、成田山横浜別院であることを突き止められました。

 余談ですが、こうしたロケ地を特定したり、ロケ地を巡ったりするのは、ファンにとっては何よりの楽しみの一つです。映画をめぐる情報というのは、当時の資料だけでなく、その作品を観たファンの印象やアクションによって、どんどん更新されて行きます。映画に触れる喜び、味わう喜びはそんなところにもあります。

 こうして『純情篇』がクランクインされました。マドンナは大映のトップ女優・若尾文子さん、おばちゃんの遠縁にあたる人妻ですが、プライドだけは高い、売れない小説家の夫(垂水悟郎さん)に愛想を尽かして別居。とらやの二階に下宿し始めます。そこへ寅さんが帰ってきて、楽しい日々が始まります。日本映画を代表する美人女優と寅さん。前作まではテレビシリーズから広がってきた映画版、という感じだったシリーズが、ここで映画独自の「男はつらいよ」にシフトされています。本格的な映画シリーズは、ここからいよいよ動き出すのです。

 ですから、山田監督のシナリオには、明確な「故郷(こきょう)」というテーマがあります。『家族』では、故郷を離れて、北海道の開拓村へと入植していく一家を描いた山田監督。『家族』はいわば“故郷”を喪失しながらも、新天地が家族にとって、子供にとっての新たな“故郷”となってゆくことが示唆されました。それを踏まえて『純情篇』を見て行くと、放浪者である寅さんにとっての“故郷”の物語であることがよくわかります。

 寅さんは、長崎港で出会った子連れの訳あり女性・絹代(宮本信子さん)の故郷である、五島列島の福江島に向かいます。父親の反対を押し切って、駆け落ち同然で島を離れ、子供まで出来てしまったものの、夫とは上手く行かず、故郷へと帰って来る絹代。寅さんは、宿代もない絹代のために一肌脱いで、絹代の実家まで付き添ってきます。そこにいるのが、絹代の父で、小さな旅館を営んでいる千造(森繁久彌さん)です。

千造「えらい、娘が世話になりまして、母親をこまい時に亡くしましてね…目の届かんことも多くて、しかしあんたみたいなよか人に会えてほんとによかった。ゆっくりしていってくだしゃい今、あの、水イカの刺身造るけん。」
寅「・・・」
千造「どうかしましたか?」
寅「まったくなあ、おじさんの言うとおりだよ。帰れるとこがあると思うからいけねえんだよ。失敗すりゃぁまた故郷に帰りゃいいと思ってるからよ、オレゃ、いつまでたっても一人前になれねえもんなおじさん。」
千造「故郷(くに)はどこかね?」
寅「くにかい、くには、東京は葛飾の柴又よ。」
千造「ほう…、親御さんはおるのかね?」
寅「うん、もう死んだ。でもな、親代わりにおいちゃん、おばちゃんがいるんだ。それに妹が一人いるよ。おじさんの娘と同じくらいの年頃だ。」

と、葛飾柴又で待つ、肉親のことを思い出します。このときの渥美さんと森繁さんのやりとりは見事で、二人の天才俳優の、絶妙の呼吸が堪能できます。この『純情篇』では、冒頭に、テレビの紀行番組「ふるさとの川 江戸川」が登場します。さくらと満男、おいちゃん、おばちゃん、御前様が出演するドキュメンタリーで、とらやの茶の間で、そのオンエアをワイワイいいながら、家族で観ています。そこへ山口県の食堂で、同じテレビを観ていた寅さんから電話が入ります。寅さんの望郷の念は、ファーストシークエンスから、高まっていて、この千造さんとのやりとりで、寅さんの想いが一気に爆発するのです。

寅「俺りゃ、帰らねえ、どんなことがあっても二度と帰りゃしねえよ。帰るところがあると思うからいけねえんだ。でもよ、俺、帰るとおいちゃん、おばちゃん喜ぶしなあ。さくらなんか、『お兄ちゃんばかねえ、どこ行ってたの?』なんて目にいっぱい涙貯めてそう言うんだ。それ考えるとやっぱり、帰りたくなっちゃったな。でもワタクシは二度と帰りませんよ。でも、やっぱり帰るな、うん、あばよ」

寅さんは自問自答しながら、それこそ葛藤の挙句、柴又に帰ることにします。そこで、おばちゃんの遠縁の夕子さんに出会うわけです。前述のキネマ旬報の「男はつらいよ大全集」には、渥美清さんと山田洋次監督の対談も掲載されています。渥美さんの言葉です。

渥美 葛飾柴又を舞台にしたのは、山田さんのアイデアですね。ぼくは、ばく然と自分の生まれ育った上野、浅草、あそこら辺の下町の、ぼくが子供の頃から見て育ったお兄いさんや、おじさんたちの話を、山田さんにしたわけだったんですが。そこから江戸川を境にして柴又の帝釈天があり、とらやという店があり、おいちゃん、おばちゃんがいて、そして妹がいるなんていう設定を、山田さんが自分の中であっためて、ふくらましていかれたわけですね。

 前にもこのコラムで書きましたが、山田監督は助監督時代、1958(昭和33)年に、井上和男監督の『明日をつくる少女』のシナリオを執筆することになり、原作「ハモニカ工場」の作者である早乙女勝元さんと知己を得ます。それから4年後の1962(昭和37)年、山田監督は倍賞千恵子さんのヒット曲の映画化である『下町の太陽』(1963年)の物語を作るために、葛飾区新宿(にいじゅく)に住んでいた早乙女さんのもとを訪ねます。何度かシナリオの打ち合わせをしたそうですが、あるとき、早乙女さんが「近くに食事に行きましょう」と誘ったのが、自宅にほど近い、柴又帝釈天参道の高木屋老舗だったのです。そのときのことを、この対談で山田監督はこう言ってます。

山田 なるほどね、こんなところが東京にもあるなあ、と思った。それに柴又という言葉がまた、とても響きがよくて、どことなくローカルで、何となくいいでしょう。ちょっとあか抜けないところがあってね。「葛飾柴又」というのは葛飾の「カ」という始まり方とか、柴又の「タ」という終わり方とか、語感的にもいいですね。

 山田監督のなかにあった1962年の葛飾柴又の印象が、1963(昭和43)年にテレビ「男はつらいよ」の舞台はどこが良いか考えたときに、ふと甦って、それが車寅次郎の故郷となりました。そして映画がスタートすると、毎回、江戸川の美しい風景、帝釈天題経寺と参道の家並みがスクリーンに映し出され、物語のなかの故郷が、いつしか観客にとっても懐かしい風景となっていったのです。ただ映像に映るからではなく、さくらたちがそこで暮らし、おいちゃん、おばちゃんの暮らしがあって、それを旅先で寅さんが“故郷”として思うことを、観客が共感し、その感情と感覚を共有することで、柴又はぼくらにとっても“故郷”となったのだと思います。

 回を重ねてゆくこと。おなじみが積み重なってゆくこと。そのことで成立していく世界があります。今、みんな“お約束”なんてことを言いますが、このおなじみの積み重ねは、文化というものの有り様なのです。スタンダードというう概念もそうです。渥美さんはこんな風に言っています。

渥美 おかしなもので、ああやって「葛飾柴又」といっていると、何かそれが前からそのとおりだったみたいに聞こえてくるところに、ものをtくっていく魔術みたいなものがありますね。(中略)見て下さる側もずっと手をさしのべてきてさわるから、出したこっちのほうと出されたほうで、両方で手のひらでぬくめていってしまうものなんですね。

 この渥美さんの言葉は、芸を育てる、親しまれてゆく、作品が本物になっていくことの本質を言い表しています。山田監督が「血も出ない」と苦しみ抜いて書き上げた脚本に、渥美清さんが寅さんとして命を吹き込んで、スタッフが一丸となって作り上げた映画。それを観た観客が“手をさしのべてさわる”ことで、このシリーズが、今なお愛され続けている作品となったのです。だから葛飾柴又は、ぼくらにとってもスクリーンを通して、こころの中で育まれた“故郷”として懐かしく思う場所になっているのだと、しみじみ思います。

佐藤利明(構成作家・娯楽映画研究家)



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