みんなの寅さん 復刻コラム ACT5男はつらいよ 望郷篇(その2)

【ACT5 額に汗して】(2012年5月4日執筆)

寅「さくら、お前らしくないな、粋だとかイナセってのは今までの俺のことを言うんだよ。そんなものが地道な暮らしとは俺は思えねえな」
さくら「あ、そうか」
竜造「寅さん、やっぱり家の商売手伝っちゃどうだい、一番気心が知れているし」
寅「駄目だね」
つね「どうして」
寅「俺ァ何べんも言うように、額に汗して油まみれになって働きてえんだよ。この店で働いてそうなりますか。おじさんやおばさん、あなた方二人、汗水たらして働いてますか。そのぐらいの理屈は分かるでしょ」
さくら「ものの例えなんだけどねぇ」

第5作「男はつらいよ 望郷篇」(1970年8月26日公開)より

大阪万博に湧き立つ1970(昭和45)年夏、この年、三本目の「男はつらいよ」が封切られました。一年に三本のハイペースで、ということだけでも、寅さん人気のスゴさが伺えます。3、4作目を、寅さんに所縁のある監督に任せて来た山田洋次監督は、この頃、自らの企画だった『家族』に取り組んでいました。長崎県の伊王島から、炭坑に見切りをつけた井川比佐志さんと倍賞千恵子さんの夫婦が、幼い子供二人と笠智衆さんのお祖父ちゃんと共に、北海道に移住するために、日本列島を北上してゆく、渾身の作品でした。それまで「喜劇」中心、しかもプログラムピクチャーを撮り続けてきた山田監督にとって「家族」は、高度成長に取り残されながらも懸命に「家族」で生き抜いていこうとする庶民を描くことは、特別なことだったと思います。そうしたなか、会社から「もう一本、寅さんを」との要請を受けて、ならば第5作で、自ら有終の美を飾ろうと、久しぶりに手がけたのが、この『望郷篇』でした。

「男はつらいよ」は、定住に憧れる放浪者の「寅さん」と、たまには気ままに旅をしてみたいと思っている定住者である「家族」の物語です。その寅さんが、浮き草稼業である渡世人の足を洗って、額に汗してはたらく決意をします。大事なことは、美しきマドンナへの思慕からの行動ではなく、あることをきっかけに、というのが、この映画の大きなモチベーションとなっています。

 物語は、おいちゃんは虫の息、寅さんが駆けつけるも、時すでに遅く...という「寅さんの夢」からはじまります。タイトルが明けて、とらやでは、あまりにも暑いのでおいちゃんはノビています。そこへ上野から寅さんが電話をかけてきて、おばちゃんたちは、寅さんを担ごうと、おいちゃん危篤と伝えるのです。びっくりした寅さん、冠婚葬祭に張り切る、仕切り屋の血が騒いで、道すがら、葬儀の段取りを万事終えて、帰って来るのですが... というあたりから、寅さんの「将来」という問題が顕在化してきます。

 そして舎弟・登が北海道の政吉親分危篤の報せとともに柴又へ。政吉親分といえば、十五、六年前、若い放浪時代の寅さんが世話になった恩人。この映画が昭和45年ですから、昭和29年か30年頃のことです。戦後十年、若き香具師の寅さんはどんな暮らしをいていたのか、このセリフだけで、いろいろと想像してしまいます。おそらく、今の登のような、意気軒昂だけどどこか未熟なところがあったのかもしれません。寅さんは「渡世の義理」を果たすため、北海道に向かいたいのですが、先立つものがありません。社長もおいちゃんも「コロっと忘れていた」と逃げ出してしまいます。森川信さんのおいちゃんがなにをコロっと忘れていたのかを「わかんねえから、近所で聞いてくる」といって店を飛び出すのが抜群です。

 結局、さくらのアパートに無心に行きます。案の定、さくらは生業をもたず、ぶらぶらしている兄に説教します。首を垂れる寅さん、神妙です。

さくら「額に汗して、油まみれになって働く人と、いいカッコしてブラブラしている人とどっちが偉いと思うの。お兄ちゃん、そんなことが分からないほど頭が悪いの...地道に働くっていうことは尊いことなのよ。お兄ちゃんは自分の年齢のことを考えたことがある...今から...あと五年か十年たって、きっと後悔するわよ、その時になってからでは取り返しがつかないのよ...ああ、馬鹿だったなあと思っても、もう遅いのよ...」

 と、一気に思いの丈を吐き出します。この言葉は「生きることは、はたらくこと」という人生の大命題でもあり、寅さんはこの後も第8作『寅次郎恋歌』で博の父から「りんどうの花」の話で諭されることになるわけですが・・・。でも、この頃の寅さん、さくらの言葉だけでは、改悛しません。結局、さくらはお財布から五千円札を出します。第2作「続・男はつらいよ」の冒頭で、寅さんが満男に「アメ玉のひとつでも」と渡したお金を、さくらがとって置いたのです。宵越しの銭は持たない寅さんと、堅実なさくら。放浪者と定住者の違いはここにもあります。

 さくらからお金を受け取り、神妙な顔で、アパートを出た寅さんですが、ひとたび外にいくと待ち受けていた登に「タクシーを呼べ!」と様変わり。これがまたおかしいのです。これが初期の寅さんの笑でもありました。先生にお説教されて、神妙なのは態度だけで、内心は舌を出している、悪ガキ時代の寅さんが容易に想像できます。

 しかし、次の北海道のシークエンスから、映画はそれまでの「喜劇」の枠を逸脱していきます。後のシリーズで展開される「男はつらいよ」のドラマチックな魅力は、ここから本格的に拡がってゆくのです。札幌の病院で寝たきりの政吉親分(木田三千雄)の姿に、テキ屋の末路の侘しさが伺えます。浮き草稼業の渡世人、いくら若いときに勢いがあっても、晩年はことほど哀れ、というのは第3作『フーテンの寅』の花沢徳衛さんの元テキ屋のエピソードでも描かれていましたが『望郷篇』では、さらに深く、その悲惨さが描かれてゆくのです。

 そして「放浪者」に対する「定住者」ということで、政吉親分が死ぬまでに息子に一目会いたいと寅さんに頼む、その息子・石田澄夫(松山省二)が、前半で重要な役割を担います。親分からのメモを頼りに、寅さんは、国鉄の機関士・澄夫を訪ねて、小樽築港駅へとやってきます。しかし澄夫は、父親と会うのを拒絶。それが理解できない寅さんは、澄夫の汽車を追いかけて、タクシーを飛ばします。山田洋次監督の「鉄道マニア」ぶりはつとに有名ですが、力強く走る機関車の描写は、シリーズのなかで鉄道が出てきたシーンのなかでも最高峰といえるでしょう。

 澄夫は寅さんに、小学一年生の時、母親に内緒で政吉に会いに行ったときの話をします。それはあまりにも切なく悲しい経験でした。赤線のようなところで、泣いて謝る女性を殴る男が父親と知った時のショック。帰りの汽車賃も持たない澄夫少年は、札幌市から線路伝いに帰ったことを寅さんに話します。ここでシリーズには珍しい、回想シーンがインサートされます。銀はがしといわれる手法で、澄夫が線路を歩く姿が描かれ、背後から、汽車の警笛が聞こえてきます。

 そして現在、国鉄マンとなった澄夫です。彼がなぜこの仕事についているか、具体的に説明はされていませんが、それだけで観客には充分伝わります。この時、澄夫は、親切な国鉄マンに汽車に乗せてもらったのかもしれません。あるいは、歩いて帰る途中、勇壮な機関車の力強さに励まされたのかもしれません。いずれにせよ、無一文で線路伝いに家に帰る途中に、現在の澄夫の原点ともいうべき、心の変化があったのでしょう。

 そんな澄夫に、寅さんはかける言葉もありません。そしてその夜、政吉親分が亡くなったことを寅さんは知ります。この時、寅さんは、額に汗して働かなければいけない、と決意をするのです。その理想の姿が、雄々しく、機関車を運転する、油まみれ、汗まみれの"汽車の缶焚き"だったのです。これが寅さんを突き動かし、さくらに言われた「額に汗して、油まみれになって働く人」になろうと固い決意となります。

 そして、柴又へ帰ってからの顛末は、お馴染みの狂想曲です。後半、寅さんは、江戸川の川下、山本周五郎の「青べか物語」でも知られる千葉県浦安に流れつき、そこで豆腐屋の節子(長山藍子)に一目惚れ、額に汗して、油揚げの油まみれになって働くこととなります。しかも浦安で寅さんが住み込む、三七十屋(みなとや)には、杉山とく子さん、長山藍子さん、そして井川比佐志さんと、テレビ版のオリジナルキャストが集結する、もう一つの「とらや」でもあります。

 印象的なのは、井川比佐志さん扮する剛が、国鉄マンと聞いたときの寅さんの「そうでありましたか」という言い回しです。まるで『拝啓天皇陛下様』(1963年・野村芳太郎監督)で渥美清さんが演じた主人公を彷彿とさせます。この一言に、堅気に憧れる寅さんの素直な気持ちが現れているような気がします。

 前半の重厚なドラマが、一転して、後半の賑やかな喜劇となり、第5作『望郷篇』は山田洋次監督渾身の傑作となります。これを最後にしようと、作品に込めた力がシリーズの方向性を決定付け、喜劇という枠をはるかに越えた「男はつらいよの世界」が拡がってゆくこととなります。

佐藤利明(構成作家・娯楽映画研究家)



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